Subject   : ユダヤ戦争

カテゴリー  : 歴史  


 ユダヤ戦争
 ローマ帝国に対するユダヤ民族の二度の解放闘争。エルサレムの徹底破壊に至る第一次ユダヤ戦争(66-70)、バル=コクバの乱の第二次(132-135)がある。

● 第1次ユダヤ戦争(66年-70年)
 ことの発端は、紀元66年に、ユダヤの事実上の支配者である元首属吏フロルスがエルサレム神殿の宝庫から17タラントを強奪したことに始まる。これに対してエルサレムでは暴動が発生した。フロルスは暴動に参加した多数のユダヤ人を磔刑に処したが、ユダヤ の民衆はこれに強く反発し、ローマ軍との間に本格的な戦闘が開始された。
この拡大した戦争に対し、フロルスの直属の上司であった属州シリアのガルスが、事態を収拾すべく、第12軍団を中心とした鎮圧軍をエルサレムへ派遣したが、ベテホロンで大敗を喫した。そこで、時のローマ皇帝ネロはウェスパシアヌス(後の皇帝)をユダヤ討伐総司令官として三個軍団を与えて鎮圧を命ずる。67年、まずウェスパシアヌスは、息子とのティトゥスとともにガリラヤを攻めた。ガリラヤの反乱軍を指揮していたのは、歴史家ヨセフスであった。彼はもともと穏健派であったため、圧倒的なローマ軍を前に状況の不利を悟り、投降した。彼はこの後、ローマの厚遇を受け、後に「ユダヤ戦争」を記すこととなる。

 その後、沿岸の町をいくつか奪還し、翌年にはジェリコとエマウスを掌握して、エルサレムを孤立させた。しかし、68年に皇帝ネロが暗殺されるとの報に接すると、ウェスパシアヌスはエルサレム攻略の指揮を息子ティトゥスに委ね、彼は急遽ローマに引き返した。70年春、ティトゥスはエルサレム総攻撃をかけ、夏には神殿に火かかけられ、秋にはエルサレムは陥落する。ティトゥスは神殿の宝物類を戦利品とし、反乱の首謀者を捕虜にして、ローマに凱旋した。その時の凱旋式の光景は、今でもティトゥスの凱旋門のレリーフでみることができる。

 最終的にユダヤ戦争が終結したのは、74年の春、ローマの司令官フラウィウス・シルウァが反乱軍最後の拠点であるマサダ要塞を陥落させたときであった。この要塞に立てこもっていた960人のユダヤ人は2人の女性と5人の子供を残し、全員が自決して果てるという壮絶なものであった。

● バル・コクバの乱(132年〜135年)
バル・コクバの乱(紀元132年〜135年)は、ユダヤ人のローマ帝国に対する2度目の大きな反乱で、第二次ユダヤ戦争とも呼ばれています。
シメオン・バル・コシェバという男が、自分こそはユダヤ民族のメシア(救世主)であるといい、人々の彼に対する期待が高まり、
彼は シメオン・バル・コクバ (星の子という意味) と自ら名乗り、ユダヤ人たちはバル・コクバ をリーダーとし、ローマ帝国への反乱に踏み切りました。
このキッカケは、ハドリアヌス帝が時代遅れの野蛮行為として、割礼を禁止しようとしましたが、ユダヤ人にとってはモーゼ以来、神との契約の割礼を禁じられることは耐え難いことであり、
また 「エルサレム」 の名前を変えて 「アエリア・カピトリアナ」 とし、神殿跡にローマの主神であるユピテル(ジュピター)の神殿を立てる計画が分かったからです。
バル・コクバ率いるユダヤ人たちは、ローマ軍を破り、一時的ではありますが、ニ年間にわたってユダヤ、ガリラヤ一帯を支配し、ローマ帝国から解放することができました。
その時期に、 「イスラエルの救い」 とか 「エルサレムの解放」 という文字が刻まれた貨幣が発行されました。
しかし、ハドリアヌス帝は、ブリタニア(イギリス)から勇将ユリウス・セウェルスを召喚し、ドナウ川流域に駐留していた軍団を与えて、ユダヤへと出動させ、135年にエルサレムは陥落してしまいました。
この反乱で、約58万人のユダヤ人命を落とし、生き残った一万人のユダヤ人捕虜は奴隷としてローマ帝国各地に売り飛ばされました。
いうまでもなく、ユダヤの土地は985の村落がローマ軍によって徹底的に破壊され、廃墟と化しました。

第二次ユダヤ戦争の後、ユダヤ人がエルサレムに足を踏み入れるのは、8月9日(神殿が破壊された事を嘆く日)以外は許されず、死刑をもって禁じられました。
ハドリアヌス帝はユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化にあると考え、その根絶をはかり、「エルサレム」 の名称は廃止され、「アエリア・カピトリナ」 となり、神殿の跡地にはユピテル神殿とハドリアヌスの像がたてられました。
偶像崇拝を嫌うユダヤ人にとって、これは耐え難いものであったに違いありません。
ハドリアヌスは徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し、属州ユダヤの名を廃して、属州 「シリア・パレスティナ」 としました。   
これはユダヤ人の敵であるペリシテ人の名前からとったものであります。 
以後、この地方はパレスティナと呼ばれるようになり、祖国を失ったユダヤ人は世界中に離散(ディアスポラ)する事になりました。
 ⇒ 世界史年表

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