Subject   : 司馬氏の台頭と西晋による中国統一

カテゴリー  : 歴史  


 司馬氏の台頭と西晋による中国統一
239年、曹叡は早世し、養子の曹芳が魏の皇帝となった。曹叡は死去するに際して司馬懿と皇族の曹爽に曹芳の後見を託したが、後に司馬懿は曹爽とその取り巻きに権力を奪われ、閑職へと追いやられた。これに対して司馬懿は249年に息子の司馬師らと共にクーデターを起こして曹爽一派を殺害し、権力を掌握した。完全に魏を牛耳った司馬懿だが、旧主の曹操に倣って帝位の簒奪は行わないまま251年に死去した。

その後の権力は司馬師に受け継がれ、司馬師が死ぬと司馬昭に受け継がれる。この間、255年の?丘倹の乱(?丘倹の乱)や257年の諸葛誕の反乱(諸葛誕の乱)などの司馬氏支配の魏中央政府への反乱が何度か起きるが、司馬氏に対する有効な打撃力とはなり得ず、鎮圧されていった。諸葛誕の反乱は、魏軍26万と諸葛誕・呉軍20万が1年にわたり激突した大戦であった。

呉では、孫権が皇太子の孫和と孫和の弟の孫覇の両人をほぼ同等に処遇したため、立太子を期待する孫覇派と廃太子を防ごうとする孫和派の対立を招いた。孫権が決断を欠いたため、対立は泥沼化し、吾粲が処刑され、陸遜が流罪となり憤死するなど、国力を衰退させた。この問題は、250年、孫和が廃太子され、七男の孫亮を皇太子に立てることで決着した。孫覇は自害を命じられ、多くの孫和派と孫覇派の人物が誅殺されたり、追放された(二宮事件)。
252年に孫権は死去し、孫亮が10歳で皇帝となると、太傅・大将軍の諸葛恪が呉の政権を握った。諸葛恪は252年に孫権の死後を狙って侵攻してきた魏の胡遵・諸葛誕に大勝して声望を得るが、翌年の魏への侵攻は失敗に終わり、疫病で多くの兵士が亡くなった。これで落ちた声望を回復するために国内の豪族勢力を押さえ込んで中央集権を志すが、これに不満を持った皇族の孫峻によるクーデターが起き、諸葛恪は殺され、孫峻が丞相となり呉の政権を握った。
孫峻は自分の権勢のためだけに独裁政治を行った。256年に孫峻が病死すると、孫峻の従弟の孫?が権力を握り、孫峻同様の独裁政治を行った。257年、魏で諸葛誕の反乱が起きると、諸葛誕と手を結んで魏を攻めるが、失敗に終わった。孫?の影響力が低下したことを見た孫亮は孫?の排除を図るが、逆に孫?により廃位され、孫権の六男の孫休が代わりに擁立され皇帝となった。孫休は孫?がクーデターを計画していると聞くと、張布・丁奉らと対策を練り、孫?を捕らえ、処刑した。

蜀漢では、255年に姜維が魏を攻めて魏の雍州刺史の王経に大勝したが、256年の段谷の戦いで大敗し、蜀漢の国力を疲弊させた。258年以降、蜀漢では宦官の黄皓が政治を乱し、皇帝の劉禅は遊び呆けていた。蜀漢を滅ぼす機会と見た司馬昭は鍾会・ケ艾らを派遣して、263年に蜀を滅ぼした(蜀漢の滅亡)。
264年、鍾会が姜維と共に益州で独立しようと反乱を起こしたが、失敗し、混乱の中で鍾会・ケ艾ら魏将や姜維ら蜀将が討たれた。この混乱に乗じて呉の歩協・陸抗らが羅憲が守る永安城を攻めたが、羅憲は永安城を堅守し、魏の胡烈が羅憲の援軍に派遣されると、呉軍は撤退した。

蜀滅亡後に魏に降伏した霍弋は南中都督に任じられ、呉の交州の交趾郡・九真郡・日南郡を制圧した。

司馬昭は265年に死去し、息子の司馬炎(武帝)が後を継ぐ。司馬炎は魏の曹奐からの禅譲を受けて、魏が滅び、西晋が建国された。その後、司馬炎はしばらくは内部を固めることに時間をかけた。

264年、呉の皇帝の孫休が病死し、孫皓が皇帝に即位したが、暴政を行い、呉の政治は乱れた。

270年、鮮卑の禿髪樹機能らが西晋に反乱を起こし、西晋の秦州刺史・胡烈や涼州刺史・牽弘を討ち取った。禿髪樹機能の反乱は羌族ら他の民族も参加する大規模なものだったが、277年、西晋の司馬駿・文鴦が禿髪樹機能を降伏させた。279年、禿髪樹機能は再び西晋に反乱を起こし、涼州を制圧したが、西晋の馬隆に滅ぼされた。

271年、呉の虞・陶?らは交州の西晋軍を破り、交趾郡と九真郡と日南郡を制圧した。

272年、歩闡が呉に背き、西晋に寝返ったが、呉の陸抗がこの反乱を鎮圧した。

279年、西晋の司馬炎は呉に出兵し、280年に呉を滅ぼし、ついに中国統一を実現した。ここをもって三国時代は終わった。

統一後の武帝はまったく堕落し、女色に耽って政治を省みず、上級官僚の間では現実の政治を無視した清談が流行した。さらに武帝は、地方分権を図り一族を地方の王として任命し、大きな権力を与えたため、死後には後継者恵帝が無能な為に后一族らと司馬一族による権力争い(八王の乱)が起こった。この乱で国力を消耗した晋は劉淵による漢(前趙)の建国とその侵攻によって晋は統一から30年で崩壊(永嘉の乱)し、再び中国は分裂状態に逆戻りすることとなった。


 ⇒ 世界史年表

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