Subject   : ホラズム朝

カテゴリー  : 歴史  > 


 ホラズム朝
セルジューク朝の勢力を倒して打ち立てられた、トルコ系の政権で、西暦11世紀にイランを支配しました。創始者はアヌシ・ティギンであり、首都はウルゲンチに置かれ、モンゴルが襲撃して来るまでまで続きました。 セルジュークの奴隷だったナッシュ・ティギン は賢さを買われてホラサーン州のホラズムの指揮官になりました。 その後、彼の息子であるゴトブ・アルディン・マハムマドが父親の後を継ぎました。その息子オットソーズもまた、セルジュークの王によって指揮官の地位を与えられました。後、セルジューク朝内で、政権抗争が起こり、それを機にオットソーズは領地を広げ始め、ホラズムシャー朝を打ち立てました。そしてその後、アッラー・アッディンテケシの時代にすべてのセルジュークの領土を奪い、イランを制覇しました。しかし、この王朝はイラクのカリフ制を布いていたアッバス朝の統治下のもとにありました。 アッラー・アッディンテケシの後、息子のモハムマドが王の地位に座りました。この頃、モンゴルの王であるチンギスはイランとの貿易を望み、使者を送りましたが地方指揮官の命令で殺されてしまいます。チンギスはモハムマド王に、この指揮官を捕らえ殺すように要請しましたが聞き入れられず、西暦1,231年モンゴルの襲撃を受ける結果となります。そして、イランの街はもちろん、美術も文学も破壊されてしまいます。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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