Subject   : アステカ帝国 

カテゴリー  : 歴史  > 


 アステカ帝国 
アステカはメキシコ盆地の最大勢力であるテパネカ族(英語版)の国家アスカポツァルコ(英語版)に朝貢してその庇護を受けていたが、1375年アカマピチトリはアスカポツァルコ王国の許可を得て国王(トラトアニ)に即位し、世襲の王族となった。アカマピチトリはアスカポツァルコの属国として領土を拡張することで国力を増加させた。

1418年、アスカポツァルコは強国のテスココに戦争をしかけて領土を奪ったが、1426年に君主のテソソモク(英語版)が死亡する。1428年、イツコアトル率いるアステカはテスココと共闘してアスカポツァルコを倒し、トラコパン(英語版)を加えてアステカ三国同盟(英語版)を結成した。これがいわゆる「アステカ帝国」である。

1440年、イツコアトルの後を継いでモクテスマ1世(英語版)が即位する。モクテスマ1世は遠征を頻繁に行い、メキシコ湾岸の熱帯地方を占領・従属させて勢力を拡げた(花戦争(英語版))。征服した土地に対して貢ぎ物を要求したが統治はせず、自治を許していた。被征服地は度々反乱を起こしたが、武力で鎮圧された。

1486年に即位したアウィツォトル(英語版)の代でも拡張が行われ、太平洋沿岸の熱帯地方までを支配した。南東方向へも進出し、ソコヌスコ(英語版)までを征服したが次第に前線が遠くなるにつれ兵站の問題が発生し、それ以上先へ進むことは出来なかった。

1502年、モクテスマ2世が王位につくと南方の太平洋沿岸へ遠征を行い、ヨピ人(英語版)などを服従させて新たな領土を獲得した。しかし、南端のトトテペク王国は抵抗を続けた。1519年にエルナン・コルテス率いるスペイン人が到来した時点で、アステカの支配は約20万平方キロメートルに及び首都テノチティトランの人口は数十万人に達し、当時、世界最大級の都市であった。中心部には神殿や宮殿が立ち並び市もたって大いに繁栄した。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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