Subject   : エリザベス1世 

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 エリザベス1世
エリザベス1世は大英帝国の礎を築いた女王です。 母親のアン・ブリンは夫であるヘ ンリー8世が女官ジェーン・シーモアと再婚したいが為に不貞の罪で1536年に処刑 されてしまいます。エリザベス王女が2歳のときでした。

エリザベスは学問の才に優れ、ラテン語、ギリシャ語、フランス語、イタリア語を流暢 に話せたといいます。また音楽の才能は父親ゆずりでリュートやバージナルを弾きこ なしました。 王女が15歳のとき初恋の相手である海軍卿トマス・シーモアが彼女との噂が元で 義弟エドワード6世の手によって反逆罪で処刑されてしまいます。その後、義姉メアリ ーが女王の時に彼女自身も反逆罪で逮捕されロンドン塔の逆賊門をくぐりましたが、 幸運にも処刑を免れ、1558年メアリー女王崩御の後、エリザベス女王が誕生した のでした。エリザベス25歳の時でした。

若く美しく知性にあふれる彼女は英国民から 敬愛されており、国中が歓喜して新しい女王の戴冠式を祝いました。 エリザベス女王はまず宗教改革を行い、ヘンリー8世が国教会を成立させて以来争 ってきたカトリックとプロテスタントをまとめていきます。 1588年には、ドーバ海峡でスペインの無敵艦隊を破ります。当時としては小国イギ リスが大国スペインに大勝利したことになります。これによって海外への進出が容易 になり英国経済は大いに発展していきます。

エリザベス自身は数ある結婚話を全て断り、生涯独身を貫いてバージン・クイーンと 呼ばれましたが、本当にバージンだとは誰も信じていないと思います。女王の主馬頭 であったロバート・ダドリーを寵愛し不適切な関係があったようです。エリザベス女王 は結婚して父の世代のように政治抗争を引き起こすよりも、結婚話をちらつかせて外 国との外交をうまく進める方を選んだという見方もあります。

そして、エリザベス女王の最後の功績は父ヘンリー8世の妹マーガレットの末裔であ るスコットランド王ジェームズ6世(マーガレットの孫メアリー・スチュアート女王の息子。スコットランド女王であるメアリーはエリザベス女王によって処刑された)を後継者に選び、イングランドとスコットランドを一つにしたことです(同君主連合 )。スコットランド王ジェームズ6世はイングランド王ジェームズ1世として1603年に 即位し、これよりスチュアート朝が始まります。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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