Subject   : ゴア総督府 

カテゴリー  : 歴史  > 


 ゴア総督府
ゴアはポルトガルが建設した最も重要なインドの拠点で、インド西海岸のゴア州に有、ゴアはインド西海岸中部のマンドウィー川(Mandovi River)の河口にある島にあって天然の良港を有する都市。16世紀初めにはイスラム王朝のビジャープル王国(Bijapur)の重要都市でした。

17世紀初頭のゴアはモザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の首都として「東洋のローマ」と呼ばれるゴアの黄金時代を迎えました。当時のゴアの人口は20万人に達し、市内には壮麗な教会や修道院、総督府などの建物が立ち並んで、ヨーロッパの都市にも引けを取らなかったとさています。

17世紀にアジアへ進出したオランダ共和国がポルトガル船を拿捕したり、マラッカなどポルトガル植民地を奪取すると、ポルトガルの海上覇権は次第に衰えていきました。しかし、オランダはゴアを何度も包囲しましたが、ゴアを陥落させることはできませんでした。

その後、イギリスがインドに植民地帝国を建設した時も、ポルトガルはゴア、ディウ、ダマンなどの都市の領有を保持しました。第2次世界大戦においてポルトガルは中立国の立場をとったため、ゴアは東アフリカのモザンビーク植民地のロレンソ・マルケスと共に、抑留されていた交戦国民の交換船による交換地となりました。

1947年にインドがイギリスから独立し、インド政府はポルトガルにも領土の返還を求めたが、ポルトガルのアントニオ・サラザール独裁政権は応じずゴアを支配し続けました。1961年にインド軍の侵攻を受けてインドに併合されました。1974年のポルトガルの無血軍事クーデターで、ポルトガルは公式に主権を放棄しました。



<出典: 日本大百科全書(小学館) >
 ⇒ 世界史年表

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