Subject   : オリエント文明

カテゴリー  : 歴史  


 オリエント文明 
 民族移動期:前2000年ごろから前1500年ごろまでは、西アジアに大きな民族移動の波が押し寄せた時代であった。インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト人や、カッシートミタンニなどが西アジアに侵入し、メソポタミアにもカッシート王国やミタンニ王国が生まれた。彼らは西アジアに鉄器文化をもたらし、この動きはオリエントに世界帝国を出現させる前提となった。

前7世紀、メソポタミア北部に起こったアッシリアは、この間、鉄器文化を受容して強大な軍事力を有するようになり、前9世紀には西アジアで最有力となり、前7世紀にエジプトを征服してオリエントを統一し、アッシリア帝国は西アジア最初の世界帝国となった。これによって、メソポタミア文明とエジプト文明は一体化し、オリエント文明に統合されたと言える。

4国分立時代 アッシリア帝国は前612年に滅亡して、4国分立時代となり、メソポタミアにはバビロンを都にしてカルデア人が自立して新バビロニア王国(カルデア王国)が成立し、有力となった。新バビロニアのネブカドネザル王は前6世紀前半にパレスチナのユダ王国を滅ぼし、ユダヤ人をバビロンに連行してバビロン捕囚を行った。その他、小アジア西部にはリディア王国、イラン高原にはメディア王国それぞれ成立し、エジプトも独立を回復した。しかしイランでメディアに代わってアケメネス朝が起こると、前6世紀中頃、その勢力が西アジア全体に及びメソポタミアもその支配を受ける。 

 

  ⇒ 世界史年表

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