Subject   : 古代ギリシアのポリス

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 古代ギリシアのポリスにおける王政 
 王政 Monarchy (モナーキー)は単独(mono)の支配者(alkhos)による政治という意味。アテネには伝説上の最初の王としてテセウスの名が伝わっており、初めは王政が行われた(王はバシレウスといわれた)が、まもなく貴族による寡頭政治である貴族政に移行した。ギリシアのポリスにおいてはアテネ以外でも王政(世襲制の君主による統治)は発展しなかった。潅漑農業の管理を通じて広い地域を一つの権力が統治する必要があったオリエントに比べて、ポリスという小さな国家では強大な王の存在は必要が無かったのであろう。

 

 古代ギリシアのポリス社会における貴族政 
 代表的ポリスであるアテネにおける貴族による寡頭支配(少数者による支配)を貴族政 Aristocracy という。貴族はポリスの構成員の中で土地などの豊かな財産をもち、武具・馬具を所有して騎士としてポリスの領土拡大や防衛の主力となった人々。アテネではドーリア人の攻撃をはねのけながらポリスを形成させる過程で前8世紀ごろまでに貴族が政権を独占するようになった。前683年には貴族の中から選ばれた9人のアルコン(執政官)(任期1年)が政務を担当する、貴族共和政の形態となった。アルコンの任期を終えた貴族が終身議員となるアレオパゴス会議(ローマで言えば元老院にあたる)が国政や裁判にあたっていた。前700年頃のヘシオドスが書いた叙情詩『労働と日々』は、貴族政を批判し、農民の労働を神聖なものとして詠っている。つぎの前7世紀末から前6世紀に次第に平民が成長し、前6世紀末にアテネ民主政が確立すると、アルコンもアレオパゴス会議も形だけのものとなった。

 僭主政 
 非合法な手段で権力を奪いながら、市民の支持を受けて独裁的な支配を行ったポリスの政治のあり方。僭主はTyrant (ギリシア語のテュランノス。権力を相続によってではなく得ることが非合法とされ、そのような権力者を意味した。現在では暴君の意味に使われる)という。その政治が僭主政 Tyrany 。  古代ギリシアの各ポリスで出現したが、典型的なのは前6世紀中頃のアテネのペイシストラトスの政治である。アテネではソロンの改革によって市民の没落は防止されたが、市民間の貴族派(寡頭政治派)と平民派(民主政治派)の対立は続いた。前者を平野党、後者を海岸党といった。アルコン(執政官)の地位をめぐっても争いが続き、アルコン職を立てることができないこともあった。そのような政争の中で、非合法な手段で権力を握り、平民や貧民に迎合した人気取り政策をかかげ独裁的な政治を行う者が現れた。そのような政治のあり方を僭主政という。

 ペイシストラトスの次にその子ヒッパルコスとヒッピアスが僭主となったが、その暴政はアテネ市民の反発を強め、前510年に追放され、僭主政は倒された。ついで前508年にクレイステネスの改革が行われて僭主の出現の防止策がつくられ、民主政が確立した。

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