Subject   : 古代ギリシアのアテネで行われていた市民参加の陪審制度

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 古代ギリシアのアテネで行われていた市民参加の陪審制度 
 古代ギリシアのポリス、アテネの民衆から抽選で選ばれた陪審員が行う裁判。民衆法廷とも言う。ソロンの改革に始まり、前462年のエフィアルテスの改革で、通常の訴訟のほか、役人(公職者)に対する弾劾裁判などの最終審として位置づけられ、アテネのアテネ民主政の重要な機関となった。陪審員は30歳以上の市民から抽選で選ばれた6000人が任命され、裁判ごとに籤で担当を決めた。ペリクレスの時から陪審員には日当が支給されるようになった。これは、陪審員が買収されないための措置と考えられる。専門の裁判官や弁護士をおかず、いわばアマチュアの市民が裁判を行うことによって「参加と責任」という民主主義の精神を実践していたといえる。また民衆裁判所は、アテネ民主政を維持する重要な役割を果たしたものであり、独裁政治や、貴族寡頭政治を主張し、民主政を否定する行動に対しては厳しい処罰がなされた。有名なソクラテスの裁判も、ソクラテスの言説の中に民主政の衆愚的な面を批判するところがあったため有罪とされ、ソクラテスがその節を曲げなかったため、死刑の判決が下されたらしい。

● 民衆裁判所
 

● 弾劾裁判
 アテネの民主政のもとで、民会において公職者を裁く裁判制度。エイサンゲリアとよぶ。アルコンや将軍、評議員などの公職に選ばれた人々に対して、その職務遂行にあたり、不当な行為、汚職、反民主的行為、利敵行為の疑いがあった場合、市民の訴えを受けて弾劾裁判にかけられた。この制度は、陶片追放とともにアテネ民主政において僭主政(独裁者)の出現を防止する重要な役割を担っており、しばしば厳しい判決が出されている。例えば、マラトンの戦いの勝利を指導したミルティアデスは戦後に僭主になろうとした疑いをもたれ、有罪となって処刑された。またあのペリクレスも、公金流用の疑いで政敵から訴えられたことがある。この弾劾裁判の制度は、前4世紀のいわゆるポリス民主政の衰退期も継続され、「違法提案に対する公訴」が行われるようになり、「民会といえども違法な決議をすることはできない」という法律を優先させる法治主義の原理が生まれている。

 ⇒ アテネ

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